Mk44 (魚雷)
Mk.44 | |
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種類 | 短魚雷(LWT) |
原開発国 | アメリカ合衆国 |
運用史 | |
配備期間 | 1958年-現在 |
開発史 | |
開発者 | ゼネラル・エレクトリック |
開発期間 | 1952年-1956年 |
諸元 (Mk.44 mod.1[3]) | |
重量 | 433ポンド (196 kg) |
全長 | 2.5m(101.3in) |
直径 | 324mm(12.75in) |
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射程 | 6,000 yd (5,500 m) |
弾頭 | HBX-3[1] |
炸薬量 | 73 lb (33 kg) |
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エンジン | 2重反転プロペラ |
推力 | Mk.61海水電池[1] |
深度 | 50–1,000 ft (15–305 m)[2] |
誘導方式 | アクティブ音響ホーミング[1] |
Mk.44は、アメリカ合衆国で開発された短魚雷[1]。アメリカのみならず、カナダ、フランス、イタリア、日本、イギリス、オーストラリアでも採用され、アメリカだけでも、1959年から1965年度予算で10,583発が生産された。対潜誘導魚雷であり、アスロックの弾頭としてのほか、水上艦船や対潜哨戒機に搭載・運用される。
来歴
[編集]第二次世界大戦後、アメリカ海軍は、新世代の対潜兵器としてアクティブ音響ホーミング式の誘導魚雷の開発に着手しており、水上艦用のMk.32は1940年代中盤より、また、航空魚雷としてのMk.43は1950年より配備されていた。しかし、これらはいずれも低速であり、信頼性にも問題があった。このことから、これらを更新するための第2世代の短魚雷として開発されたのが本機である。開発は1952年ごろより着手され、1956年までに完了した[2]。
当初は、海軍兵器実験ステーション(NOTS)海軍主導で電気モーターを使用しプロペラに直結するEX-2Aと、ジェネラル・エレクトリックが主導する硝酸プロピル系燃料を使用するEX-2Bの2つの設計案が検討された。EX-2Bは燃料事故を起したため、電気モーター使用に切り替え、モーターをギアでつなぎプロペラをまわす方式となった。この改良されたEX-2Bが採用選定され、Mk.44 mod.0となった。
1956年からは、さらに改良されたMk.44 mod.1が実用化され、1958年7月より生産が開始された[4]。
設計
[編集]Mk.44は短魚雷としては、一般的な構造で前よりセンサー部、弾頭部、誘導部、バッテリー部、機関部となっている。バッテリーは海水を電解質とし、塩化銀とマグネシウムを電極とした海水電池とされた[3]。4翔式の二重反転プロペラを持ち、4枚の制御翼を持つ。
捜索パターンは直径440フィート (130 m)の螺旋パターンであり、まず初期捜索深度まで潜航し旋回捜索を開始[1]、設定された角度によって降下/上昇し、下限捜索深度までの間で、6分間にわたって捜索を行う。各パラメータは下記のように設定できる[2]。
異なる初期捜索深度を設定しての連続発射の戦術も行なわれる[1]。
前任のMk.32は、艦艇においては横抱き式の落射機を用いて投射されていたが、本機では、3連装のMk 32 短魚雷発射管が用いられることが多かった。また、アスロックやアイカラなどの対潜ミサイルの弾頭や、Mk.43と同様に対潜哨戒機や哨戒ヘリコプターに搭載しても用いられる。
配備
[編集]Mk.44は、戦後型の通常動力型潜水艦など、速力17ノット以下の潜水艦を想定目標としていた[2]。しかし、ソビエト連邦軍において、大速力の原子力潜水艦の配備が急速に進展したことから、本機では雷速不足が指摘されるようになり、1966年より、より高性能のMk.46の艦隊配備が開始された[3]。
Mk.44は、北大西洋条約機構(NATO)など西側諸国の標準的な対潜魚雷となった。海上自衛隊でも、1963年より、駆潜艇向けのMk 32 短魚雷発射管とともにMk.44 mod.1の導入を開始し[3][注 1]、翌1964年にはMk.44 mod.1-Nとしてライセンス生産化された。ただし、アメリカ海軍と同様の問題から、1973年より、後継の73式短魚雷が開発・導入されている[6]。その他の各国でも順次に退役しており、例えばニュージーランド海軍でも1993年には退役している[2]。
Mk.44は広く採用されたことから、その改良も広く行われており、例えば1986年にはハネウェル社より音響装置のデジタル化パッケージが発表された。これはKT44として韓国海軍で採用されており、シーカーの捜索範囲は3倍に強化されたほか、平均故障間隔(MTBF)も160時間から3,000時間に延伸されている。また、南アフリカのIMT社で開発されたA44は全面的に改設計して、全長2,573mm、重量196.8kgとなっており、弾頭も45kgの成形炸薬弾に強化された。また、運用深度も、最浅で10m、最深で1,000mに拡張されている[2]。
運用国
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h 山内 2010, p. 93.
- ^ a b c d e f Friedman 1997, p. 691.
- ^ a b c d 香田 2015, p. 77.
- ^ James V. Shannon (14 June 2002). “Post-World War II Acoustic ASW Torpedo Development - A brief history of the MK-35, MK-41, MK-43 and MK-44” (英語). 2014年5月31日閲覧。
- ^ 三菱重工業株式会社 社史編さん委員会 1990, p. 733.
- ^ 香田 2015, pp. 152–153.
参考文献
[編集]- Friedman, Norman (1997). The Naval Institute Guide to World Naval Weapon Systems 1997-1998. Naval Institute Press. ISBN 978-1557502681
- 香田洋二「国産護衛艦建造の歩み」『世界の艦船』第827号、海人社、2015年12月。 NAID 40020655404。
- 三菱重工業株式会社 社史編さん委員会 編『海に陸にそして宇宙へ 続三菱重工業社史 1964-1989』三菱重工業、1990年4月。 NCID BN04680503。
- 山内秀樹「PS-1のASW機材と兵装」『新明和 PS-1』文林堂〈世界の傑作機〉、2010年、88-97頁。ISBN 978-4893191885。
- 『水雷兵器』潮書房〈丸スペシャル No.76〉、1983年。ASIN B07V52FDCX。